施術者の紹介

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施術者の紹介

 

 

 

 

 

 

兼城賢(かねしろまさる)
1980年生まれ

米国ライフウエストカイロプラクティック大学人体解剖実習参加
2001年 日本カイロプラクティックドクター専門学院卒(国際整体技術学園)

カイロプラクティックオフィス(副院長)にて5年間勤務を経て
2005年、阿佐ヶ谷にて開業

技術習得の為に日本各地とアメリカにて様々なセミナーへ参加

日本NLP協会認定・全米NLP協会認定、NLPマスタープラクティショナー

千葉大学医学部解剖実習参加(2011年~2015年)
上部頸椎施術者アカデミー卒

「腰痛に効く!全国治療院ガイドブック」(主婦の友社)にて「腰痛ゴッドハンド名鑑」全国18人の1人として紹介される
「腰痛がよくなる!ガイドブック」に紹介される(主婦の友社)

私がなぜ人の健康に携わることを仕事として選んだのか?
きっかけや今までの出来事を紹介したいと思いますので、興味のある方はぜひ最後までお読み頂けますと幸いです。

中学生のころからあった肩こりと腰痛
実は私自身中学生の頃から肩こりと腰痛がありました。

特に首や肩の凝りは強かったことを覚えています。
今思い返せば 急に視力が落ちたことや授業の一つに農業があったことそして姿勢が悪かったです。

凝ったり痛みがあると自然と手がいきますよね?
私も当時肩や腰が凝って辛い時は、押すと楽になる感覚覚えてしまったので
辛くなると友人に押してもらい楽になるけど、また繰り返すという日々を送っていました。

でもだんだんもっともっと力強く押してもらわないと
押されている感覚が弱く感じ押してもらった後のスッキリ感が少なくなってきました。

そしたらですね、もっと楽になる方法を見つけてしまったんです!
自分で自分の顎に手を当てて、首を捻ってボキボキ!腰を捻ってボキボキ!と辛い度に鳴らしていたんです。

鳴らした後の爽快感があり、やみつきになっていました。
今思えばゾッとしますね。これは本当に危ない事です!(苦笑)

そして極めつけは、友人に押してもらっても効かないので
ボールペンや棒で グイグイ押してもらっていました。。。

その当時押してくれていた友人が今でも覚えているんです。
「どんなに強く押しても平気で、お前異常だったよな!」と。。。

もし過去に行くことが出来たら
「今すぐボキボキ鳴らすのとペンで押すのをやめて、信頼できるカイロプラクティックへ行け!」と絶対伝えますね。
(人体の勉強をしたから言えるんですけどね)

まだその頃はカイロなんて言葉はまったく知らず、でもこの経験が後の進路決定のきっかけになりました。

 

ある一冊の本と出会ったことで、カイロプラクティックの道へ
高校生になった私はちょうど高校2年生の頃、本格的に将来どうしようと考え始めました。

とりあえず大学へ行くという選択肢はなかったため将来何をやりたいかを考えることにしました。

中学生から続いていた首・肩・腰の凝りがあったので
鍼灸やマッサージの資格に興味を持ちましたが、昔から大の注射嫌いだった私は
鍼灸は早々にあきらめ、マッサージはその場はすごい気持ちいいけど、だんだん強く押されないと
感じなくなった経験をしたことで疑問に感じていました。

どうしようと悩んでいる時に、たまたま立ち寄った本屋さんで
資格に関する本を眺めていたら “カイロプラクティック”という題名の本が目に飛び込んできました。

見たこともない文字でしたが、なぜか気になった私は手に取り購入しました。

読書感想文の宿題が出ても絶対に本の中身を読まず
最後のあらすじを読んだだけで、適当にごまかして書いていたぐらい本嫌いの私が^^;
そのカイロプラクティックの本を読みはじめて、すぐに飽きて本を閉じるどころか
どんどんその魅力に引き込まれ、今まで本を最初から最後まで読んだことがなかったのに
寝ることも忘れ一気に読んでしまったのです。

気付けば朝日が上がりかけていました。

あれだけ本を読むことに拒否反応をもっていた私にとって
全部読んだことに感動しました。(今でもその本は大切に保管しています)

カイロプラクティックの魅力に取りつかれた私は
迷いなくカイロプラクティックの道へ進むことを決めました。

 

カイロプラクティックの専門学校に入学するため、東京へ
当時高校の友人や先生に、カイロプラクティックの学校に行くことを伝えても何それ?状態でした。

本場はアメリカですが、まずは日本で学ぼうと考え
いくつかの専門学校から資料を請求し、憧れだった東京の学校へ行くことに決めました。

(ちょっと余談になりますが・・・)
何度か東京へ来たことはあったのですが、一人では初めてで楽しみ半分、不安半分で入学式のため上京しました

当時学校が新宿駅近くにあり
土地勘がまったくないため、学校から一番近い新宿プリンスホテルに宿を取り
夕方羽田空港に着き電車で新宿を目指しました。

初めて上京した人はわかると思いますが、新宿駅で電車を降りて地上に出るまで一苦労ですよね?

私もなんとかホテルのある東口に出ることができ、新宿プリンスホテルまでの地図を片手に歩き始めました。

初めて見るアルタ前に感動しながら目的地目指し、そろそろ近づいてきたな~と感じ始めた時、ピカピカ光り輝く景色になってきました。

うん?
この景色どっかで見たことある!

あっ、そうだテレビでやっていたあの警察24時でよく出てくる犯罪が多い所だ!

間違えたと思い、慌てて地図を確認しましたが、地図の方向はちゃんと当たっているのです。

新宿プリンスホテルは歌舞伎町にあったんですね。。。

歌舞伎町は警察24時で犯罪の多い所と頭に刷り込まれていたので(笑)
なんという所に宿を取ってしまったんだ。。。と後悔しながら
夕食はホテルのすぐ目の前にあるラーメン屋さんで済ませホテルに閉じこもっていました。(笑)

 

専門学校での基礎医学・技術練習
学校では基礎医学(解剖学・生理学・病理学・運動学・免疫学・公衆衛生学)をはじめ
検査・触診・テクニックの習得に励み、提携校のアメリカのカイロプラクティック大学へ解剖実習にも行きました。
感謝と共に教科書では学べない人体の精密な構造を学ぶことができ 大変貴重な経験をしました。

 

初めての現場と修行の日々
ちょうど入学して1年が経ったころ、講師の先生が開業をされるということでお誘い頂き
アシスタントとしてインターン期間を過ごすことになります。

掃除の仕方から言葉使い、患者さんへの接し方や問診や検査方法、触診や技術の習得など様々なことを学ばせて頂きました。

卒業して2、3年で8割くらいの人がこの業界から去るという現状がありますが
私は運良くそのまま就職させて頂けることになりインターン期間も含めて5年半お世話になりました。

この業界は技術職ですので、しばらくは月収数万円でした。(20年前の話ですので、今の時代はもっと条件がいいです)
ですから早く評価して頂けるように毎日夜遅くまで練習に励み、スタッフ同志でお互いに練習台になりながら、こんな矯正の仕方をすると痛めるんだな~と
身をもって体験します(苦笑)

でもこの経験があったからこそ、技術力が向上し今があると思います。

そして少しずつ患者さんからの信頼を得て、月に約200人の施術を行い、後輩の指導もしながら充実した日々を送っていました。

5年半が経ったころ、もっと自分自身を成長させたいという想いが強くなり、独立という2文字が浮かんできました。

 

開業1年後の廃業!?
技術には自信はありましたが所詮経営はド素人です。

初めのうちは経営状態はまずまずでしたが、半年過ぎた頃からどんどん傾いていきました。
このままの状態では開業1年後には廃業しなければいけない状況でした。

少しでも生活費を浮かせるために、電車とバス通勤を止めて、片道約1時間かけて自転車通勤にしていました。

そして足りなかった経営の勉強をし、同時に技術をさらに磨き、患者さんからもっと信頼を頂く為に試行錯誤しながら少しずつですが
患者さんも増え、ようやく廃業の危機から脱出することが出来ました。

もしあと1か月立て直しが遅れていれば、確実に廃業でした。。。
その後はおかげさまで患者さんも順調に増えていきました。

 

ある問題により移転
ありがたいことに軌道にものり、施術ベッドを増やすために
内装の配置をリニューアルしようと考えていましたが開業当初からある問題がありました。

それは騒音でした。
同じビル内での騒音問題でしたが解決が難しい状況だったため、今後のことを考え移転することを決めました。

そして巡り会ったのが今の場所です。
一般住宅用の物件でしたが、見た瞬間に一目惚れし私は直感に従ってここだ!と決めました。

住宅街で人通りがほとんどない立地条件でしたが
環境はいいし、周りには緑がたくさんあり何よりも雰囲気がよく半分勢いで決定しました。

移転前の場所からも徒歩2分ほどだったので
ほとんどの方に継続して頂け、移転後も順調に日々の施術業務に加え、スタッフの育成など忙しい日々を送っていました。

 

今後の方向性が曖昧に
今までは目の前のことに対して、一生懸命にこなしてきましたが移転して2年程(開業して5年後)経った頃
カイロプラクティックという職業を継続するにあたり、今後の目的や方向性が曖昧になりブレ始めてきました。

多くの方が開業して数年はやる気満々だったのが
目的・目標が定まっていないことでモチベーションが低下し廃業するケースがあります。

私自信もこれからの10年後20年後を見つめ直すために
技術セミナー・経営セミナー・自己啓発セミナー・コミュニケーションセミナーなど、様々なセミナーへ参加しました。

 

1人の先生との出会いにより、これからの方向性が決まる
2010年12月ある一人の先生との出会いから
私の今後の方向性が変わるきっかけになります。

今までの常識では考えにくい結果を出している先生で、矯正技術にかける強い想い、患者さんに対する気配り心配り
先生の人間性のあり方に感銘を受け、是非この先生から学びたい!と強く想いました。

そしてタイミングのいいことに
2011年4月から1年間のカリキュラムでスクールを開講するということで、私は迷いなくスクールに入学しました。

スクールでは超一流の講師陣に指導して頂き、毎日特殊で高度な技術をマスターする為、必死で練習に励みました。

そしてスクールでの学びを深めるうちに
曖昧でブレていた目的と方向性が明確になり、これからの自分のあり方が決まりました。

患者さんにとって健康の質・人生の質を
さらに高めて頂くには施術内容をバージョンアップする必要があると感じ、大幅なリニューアルを決断しました。

 

6年半続けてきた施術内容をリニューアル(2012年)
少しでも早く良くなってもらいたい!
矯正の間隔を空けても大丈夫な状態にしてあげたい!
そして症状に振り回されない人生をおくってほしい!

こんな想いが私の中で強く沸き起こり施術内容をリニューアルすることになりました。

2005年に開業し、6年半続けてきた施術内容を変えることは
私にとっても大きな決断で、もし受け入れてもらえなければ、存続の危機になる可能性がありました。

皆様からの信頼を裏切らない為にも
しっかりと準備し、皆様の将来に渡っての健康に貢献できると確信して、リニューアルを進めました。

実際「カイロプラクティック」の語源は
ギリシャ語で「手によってなされた (手技)」という意味ですので、簡易ベッド1台と技術があれば施術は可能です。

例えば料理も
基本は料理人の腕次第で味が最終的に決まると思いますが
その腕を引き立てる食材・調理器具・食器・雰囲気の質をどこまで高めるか、さらに料理に対する想いによって味も評価も格段にあがると思っています。

私も技術だけではなく
その技術が皆様の健康にとって、より良いもので在りたいために、姿勢分析器・重心測定器などの検査機器を揃え
特殊な電動式カイロベッドと首専用ベッドを本番アメリカから輸入しました。

そして室内を流れる音楽をクラシックに変え、ゆったりと落ち着ける空間にこだわりました。

さらに皆さまの苦痛が少しでも早く楽になって
将来にわたって症状に振り回されない人生を歩んでほしい!、その想いで日々施術をしております。

 

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